祖国医学は、精・気・神を人生の三宝とみなす。神とは人体生命活動の総合的な外在表現であり、精神意識活動を指す。『内経』には「神は水穀の精気なり」とある。すなわち、神は精気を物質的基盤としており、精神とも呼ばれる。精神は臓腑气血の盛衰の外在的徴候であり、体の形態・動作・顔面表情・言語・呼吸などによって表れる。古人が言う神と精神は、現代の精神・心理活動と基本的に一致する。我国古代思想家は、神が人体生命活動において重要な役割を果たすことを非常に重視しており、「得神則昌、失神則亡」と述べている。神の存亡を察することは、正気の盛衰、病情の軽重、予後の良否を判断する上で重大な意義を持つ。 望神は望診の重要な側面である。望神とは、病人の精神の良し悪し、意識の明瞭さ、動作の俊敏・協調性、反応の鋭さなどを観察することである。中医では、神は五臓と関係があるが、特に心と密接な関係がある。『内経』には「心は五臓六腑の大主なり、精神の所在なり。その臓堅固なり、邪は容れられぬ。容れれば心傷し、心傷すれば神去り、神去れば死す」とある。「神は心に蔵され、外は目に出る」。目は五臓六腑の精気の所在であるため、眼神の変化を観察することは望神の重要な内容である。疾病の発生・進行過程において、患者が目が活発で、意識が明瞭で、反応が鋭く、言語が明瞭で、声が洪亮で、呼吸が正常であれば「有神」とされ、正気が傷ついていない、臓腑機能が衰えていない、病情が軽く、予後は良好であることを示す。一方、目が晦暗で、瞳仁が呆滞し、精神が萎靡し、反応が鈍く、呼吸が微弱で、甚だしい場合には神志が昏迷するといった状態は「無神」または「失神」とされ、正気が傷つき、病情が重篤で、予後は不良であることを示す。また、長期病や重病患者が本来精神が極度に衰弱していたところ、突然「精神が回復した」「顔が紅く咲いた」などの「仮神」現象が現れる場合、「回光返照」または「残灯復明」と呼ばれ、特に注意を要する。結局、中医は「精神内傷、身必敗亡」「精神内守、病安从来」と考えている。 したがって、歴代の医家は、養生・保健および疾病治療・回復において、「養神」「安神」を極めて重視している。 どうやって神を養うか?筆者は以下の方法を重視すべきと考える: 形神兼養 古人は「形は神に依って立つ、神は形に依って存す」と言った。『内経』には「食飲有節、起居有常、妄作勞せず、故に形と神と具にあり、而も尽く終焉の年を享う」とある。すなわち、生活規律の重視、食事の調整、身体の鍛錬を徹底し、健康を確保することで、精神も健旺になるというわけである。 静で神を養う 『内経』には「静則神蔵、躁則消亡」とある。『淮南子』も「夫精神志意者、静で日充なる者は壮く、躁で日耗なる者は老いる」と述べている。これは静で神を養う道理と必要性を示している。特に騒々しい環境で長時間働いた後、疲労や心情の乱れがあるときは、安静な環境で休憩・睡眠を行うことで精神を養う必要がある。また、仕事の後に閉眼して神を養う(雑念を排除する必要あり)ことも、精神と体力の回復にとって極めて重要である。 心を養い神を安らかにする 「心藏神」である。心臓に病があると、心神は躁動不安になり、「五臓六腑皆揺る」となる。したがって、心を養って神を安らかにすることが必須である。例えば心血虚ならば神が居所を守らず、治療は養血安神が適当。心火亢進で心神が乱れれば、降火安神が適当。痰火擾心で神志が不安定ならば、清心豁痰が適当。また肝郁化火で心神が乱れれば、泄肝安神が適当。心腎不交で心神が寧んでいなければ、交通心腎が適当である。 情を調えて神を安らかにする 中医では、七情が過度になると精を耗き、神を傷つける。『内経』には「怵惕思慮者則傷神」とあり、「喜楽者、神憚散せずして蔵せず」とあり、「恐懼者、神憚散せずして収めず」とある。また『彭祖攝生養性論』には「喜怒過多、神不帰室」とある。 したがって、精神を愉快に保ち、楽観的で前向きな態度を保ち、「戒怒」「慎思」し、あらゆる不良な精神刺激を避け、精神調養の重要性を認識することが必要である。 精を保ち神を養う 精が充実すれば精神は健壮となり、精気不足では神は浮躁で不安定になる。したがって、修身養性、栄養補給、性欲の節制、睡眠の調整などの方法で精を保ち神を養うことができる。 その他、松静功法や食療(竜眼肉、百合、蓮子など)などの方法も神を安らかにするのに用いられる。
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