心を静かに保ち、精神を養う 「神」はすべての生命活動の主導者であり、生命存亡の根本である。いわゆる「神を得れば昌し、神を失えば亡ぶ」である。しかし、神気はすべての生命活動を支配するが、動くことは容易だが静かに保つことは難しい。したがって、神を養う鍵は「心を静かに保つ」ことにある。『素問・生气通天論』には、「清浄であれば筋肉の腠理は閉じ、大風や苛毒があっても害を受けることなく」とある。これは、心を静かに保つことで正気が充実し、散乱しなくなり、体の正常な生理機能を維持し、病気に対する抵抗力を高め、強い致病因子があっても病気にかかりにくくなることを示している。 心を静かに保ち、精神を養うことは、安心して世の中を生き、光明磊落で、从容として温和に、雑念を排除し、煩わしさを追い払い、一心に集中し、精神を静かに保つことに価値がある。こうすることで、学習や仕事に有利となり、全体的な調和を保ち、生活リズムを整え、健康長寿につながる。逆に、人が恬淡虚無を守らず、心を静かに保たず、名利のためにいちいち計算し、忙しく動き回り、焦って追いかけるような生活をしていると、養生の道から逸れ、寿命を全うすることは難しくなる。 ここで言う「静養」の思想は、虚無缥缈な絶対的な静ではなく、何も考えず、ただ冥想し、夢中になって「得道成仙」を目指すような行為とは本質的に異なる。清代の曹慈山は『老老恒言』で、「静時こそ動を戒むべきだが、動しても妄動せず、それもまた静である」と述べている。また、「頭を使うときは雑念を戒め、雑念があると心が分散し、分散すれば老いる。唯一、専念すれば、使うにしても疲れず、志が定まり、神が凝るからである」とも述べている。彼は、心神は相対的に静かであるべきだと主張している。心神を使わず、動かないことも静であるが、動していても妄動せず、使いすぎず、専念して混乱しないことも、静の意味を持つと説いている。私たちが提唱する「静心養神」とは、思想が一貫し、他に心を奪われず、空想に走らず、自分の仕事に一心に取り組むことである。
|